Web Site 設定にあたって
個人的な発信のためDomain取得しWeb Siteを手作りでとりあえず設けました。Contentはこれからです。
長い年月、法人の代表をしていたのでStakeholderに対する責任から、主観的には普遍性を残しつつも私の個人的な思い・信条・生活スタイルよりは「…経済的範疇の人格化…」した存在として社会的諸関係に規定され期待される生き方や言動を優先してきました。「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場」からは「主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだから…」それは避けることができないし、むしろそれに全てを集中し専念しました。
誰しも同じように世の中の期待に応えようと生きるのですが、あるときふと我にかえり、それだけで終われなくなるのでしょう。 法人を離れていつ頃からか、私はこれから少しばかり自由な精神にもとづき思考し行為してみようと考えるようになりました。それはこれまでの生き方を決して否定するのではなく、それと整合性/アイデンティティが失われるわけでもありません。これまでも自己の原点を手離すことなく、その上であるベクトルをとり、しかし法人格を具現した存在として経済社会で生きてこれたのは、それが私が自ら選んだ「位置」だったからであり、それはこれからも変わらないのです。
私の後半生の始点となった体験とともにひとつの詩がありました。 なぜこの詩がそこまで自分の核心に迫ってくるのか説明できる言葉はありません。人はみな自己の原点のようなものがあるのでしょうが、それを上手に説明することは簡単ではなく、できるとしたら散文ではなく詩文か、あるいは一つの出来事なのかもしれません。
位置
しずかな肩には
声だけがならぶのではない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓(たわ)み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である
石原吉郎
初めてこの詩を読んだ時の戦慄は今もからだ(こころ)の深いところに燻っている感覚があります。
世人はこの詩を息苦しいまでの緊迫感に満ちた言葉がならぶと評することが多いようです。作者がシベリア抑留生活で死線をくぐって生き抜いて帰還した体験がその詩作の背景と理解され、その緊迫感だと。
石原は極寒の地で苛酷な経験をし、終戦後8年になりようやく日本に帰還した。そのため詩の醸し出す緊迫感は、死が目前に迫ったシベリヤ体験に起因し、その時期のものであると解釈されることはやむを得ないことかもしれない。
しかし石原は抑留から帰還したのちも極度の緊迫感の中で長く生き、日本での生活の中でそれを持ち続け、つぎつぎと心に突き刺さる詩を発表し生き抜いていたことに、私は抑留中はせまられ、そして帰還後は自ら選んだ、彼の「位置」の重さとともに強い前向きな魂を感じるのです。
この詩の中の肩にならぶ「敵」とともに歩む生き方は、彼が戦後に選んだ「位置」に迫りくる日本の日常のなかの脅威または緊迫感とただしく向き合う姿勢なのだ。その「位置」の不可避性の中で生きつづけたのだった。
本サイトのどこかにこの現代詩がもたらした戦慄と緊迫感の一片でも醸し出せるよう問題意識を持ち続けたい。